【究極のアサーティブ】4つの事例で知る折れない強さ
「何かをする。」のは<Do>です。
「する」「した」はアクションです。
99日間プロジェクトで投げかけている課題は<Be~在り方>に近い<Do>です。
◎をつけられると「できた!」と喜びがあると思います。
しかし×だと自信をなくし、続くと自己嫌悪になることもあります。
いま苦しんでいるのは、この仕組みにハマっているからです。
◎でも×でも、どちらでもいいのです。
「こうありたい」のは<Be~在り方>です。
「ある」「ない」は状態です。
状態に自信があると、「何かをする。」ことには寛容になります。
「できてもいいし、できなくてもいい」という気持ちになります。
状態に満足しているからです。
状態に満足していると、できること、できないことの見極めができるようになります。
晴れたらいいし、晴れなくてもいい」と思えるようになります。
つまり現実を受け入れることができます。
現実ははっきりしています。自分にはできることもあるし、できないこともある。
天気はコントロールできません。コントロールできることは主体的動けることだけです。
他人はコントロールできません。他人が主体性を持っているからです。
主体性のないことで悩むことはなくなります。
【事例 1】
住んでいる環境はきれいであってほしい。これは<Be~在り方>です。
ポイ捨てされたゴミを見つけたのでゴミ箱に入れた。これは<Do~する>です。
<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、自分が捨てることが気になりません。
<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、怒りが生じてポイした人間に腹が立ちます。
つまり自分が他者の行為にコントロールされてしまいます。
一瞬にして、暮らしの中心が他者にすり替わり、自分の在り方も不安定になります。
【事例 2】
愛する人を大切にしたい。これは<Be~在り方>です。
なんかの事情からカレまたはカノジョが嘘をついたことを発見します。
これは<Do~する>です。
<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、動揺なく変わらず大切にしたいと思います。
<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、怒りが生じてカレまたはカノジョを責めます。
愛する人を大切にしたい気持ちが吹き飛び、変わらず大切にしたいとの間で揺れ動き引き裂かれたような気持ちになります。
やはり、自分が他者の行為にコントロールされてしまいます。
一瞬にして、暮らしの中心がカレまたはカノジョにすり替わり、自分の在り方も不安定になります。
【事例 3】
愛する女性を大切にしたい。これは<Be~在り方>です。
彼女がレイプされたとします。これは<Do~する>です。
<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、受け入れて彼女を守ってあげたいと思います。葛藤はありますが、彼女は犠牲者だし、いまこそ変わらず大切にしたいと思います。
<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、怒りが生じて相手に復讐したいと思い、彼女に責任はないと思いながらも、心の底で彼女まで責めてしまうこともあります。整理できないまま彼女を見捨てるかもしれません。
やはり、自分が犯罪者の行為にコントロールされてしまいます。
一瞬にして、暮らしの中心が犯罪者にすり替わり、自分の在り方も彼女に対する行為も不安定になります。
【事例 4】
平和を大切にしたい。これは<Be~在り方>です。
総理大臣が、平和を大切にしたい。いざという時には自国民を守れる体制にしておきたい
と決断します。これは<Do~する>です。
<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、<Be~在り方>に目が向くので不自然だと思いません。
<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、<Do~する>に関心が高く、戦争の準備だと思い批判的になります。なにかにつけて監視的な目線が多くなり、批判することに囚われます。すでに自分が平和的でなくなっていることに気がつきません。
ガンジーやキング牧師は、<Be~在り方>を主張しましたが、対立するようなメッセージは発信しませんでした。人間の根源的な問題として原理原則に反するようなことしないでほしいと<Be~在り方>について言及したからです。
<Be~在り方>が<Do~する>より強く、信頼されるのは、こうでなければならないと決めつけないからです。
<Be~在り方>は他者や状況に左右されません。屈することもありません。いつも自分に主体性があります。
風になびく柳は折れません。
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