2013年3月14日木曜日

周囲の期待に応えなくて良い権利



アサーション権



アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

   1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
   2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
   3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利

 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

人からなにかを期待されて、それを察することができても、それに応えなくなくてもいい権利です。期待するのは相手の勝手であって自分のことは自分で決めればいいのです。

この背景には、相手の期待に応えたとして、相手が自分の期待に応えてくれるかどうか定かではありません。もし応えてくれなかったときには、あなたには怒りの感情が起こってくるでしょう。そのような可能性も考慮して、人からなにかを期待されて、それを察することができても、それに応えなくなくてもいいとしています。

人の期待を察して応えたいと思うときは、GIVE&GIVENのポリシーがきちんと自分に備わっていることが条件になります。
そうでないと自分はこれだけのことをしたのにとGIVE&TAKEを求めて、相手を責めたり、失望から自信喪失、自己嫌悪になったりすることも少なくありません。
それでは、人からなにかを期待された段階で自分が相手に期待しているGIVE&TAKEがスタートになります。周囲の期待に応えるもの、応えないのも、共同体における自分の選択であって、GIVE&TAKEという交換ではないのです。
自分の考え、自分の気持ちで動く自由な精神を汚したくないものです。自由を尊ぶ気持ちを大切にしてこそ相手にも束縛を感じさせないコミュニケーションが可能になります。
周囲の期待を考えるときに、ヒントになる話があります。

ジャン・コクトーの映画、ディズニーのアニメにもなったボーモン夫人の有名なおとぎ話「美女と野獣」です。この物語は解釈が人によって違うと思いますが、長い時を経ても輝きをなくさないのは、普遍的な重大な原則を秘めているからです。
野獣である王子は最後に美しい王子になって終わります。その結果に焦点をあてると誤解してしまいます。
美しい王子になったのはベルという娘が野獣の王子をそのまま受け入れたからです。ベルは野獣に変貌することを求めませんでした。だから最後に変化が起こったのです。
私たちは、とかく他者に「あなたさえ変わってくれたら、私は幸福になれるのだから」と変化を要求します。
こども、パートナーにはじまって同僚、上司、部下など、要求の強さは立場によって違っても、幸福は相手次第と言わんばかりに自分以外に変化を要求します。
でも実際は、自分の行動で自分は幸福になれるものです。自分の判断と行動は自分が選択できます。選択次第に自分を幸福にできます。「美女と野獣」はそれを伝えて物語です。
アサーションで言う「周囲の期待に応えなくて良い権利」とは、ひとは自分の行動で幸福になれるということの裏返しにすぎないのです。
   1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
   2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
   3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
   9.周囲の期待に応えなくて良い権利
これらのアサーション権は因果関係があり全部関連しています。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】
ビジネスシーンでは、周囲の期待に応えなくて良い権利との遭遇の連続です。「利益」を追うもの同士が向き合うわけですから、相手が自分の期待に応えてくれるかどうか定かではないことへ向き合う日々です。
そこでストレスを感じる目標を達成するには、GIVE&GIVENをポリシーにWIN-WIN を追求することが欠かせません、
アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

   1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
   2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
   3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利

 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利




2013年3月13日水曜日

他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利



アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。


 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 
   9.周囲の期待に応えなくて良い権利 

私たちは誰もが、周囲の人々の期待に応えるかどうか、自分がどんなふうに感じ、どう考え、どんな行動をとるか、自分が決めたり、判断してよく、その結果についても、自律的に責任を取ることが許されています。

つまり、自分の行動の選択と判断について、最終責任者は自分だということです。
自分の感じ方、考え方は自分のものであり、他人がどう思おうと、他人と同じ感じ方や考え方をしなくてもいいのです。また、それを主張する権利も、変える権利も自分が持っています。
同じく他者も自分と同じように、自分の行動を決める権利をもっています。つまり誰もが他者を変えることも、コントロールすることもできないことを意味しています。
さて、この考え方をビジネスの現場に反映したらどうなるでしょうか?
今日は結婚記念日、パートナーと外食の約束をしています。プレゼントも購入しています。さあ、気持ちもワクワクと帰ろうとしたときに、上司が食事の誘いをしてきました。
個人的な意見も聴きたいとのことです。断ることに申し訳ない気持ちもあって曖昧ですが「今日は、ちょっと」と、早く帰りたいメッセージを送りました。上司は「久しぶりなんだから、ちょっとぐらいいいじゃないか」と誘ってきました。相手の気持ちを察すると、誘いに乗っても断っても、どちらを選んでも後味がすっきりしません。
こんなとき、あなたはどうしますか。
パートナーと上司への配慮、いやな気分にさせない説明と断り方、約束した後悔などが整理出来ないまま混乱が脳裏を走りますが、それらに意味があるわけでなく、自分が意味付けをしているだけです。
つまり相手の行動の問題ではなく、自身の感じ方(意味付け)の問題なのです。
自分の選択に意味付けするのは自分しかいないということです。どちらを選んでも決めたのは自分なので、パートナーや上司のせいにしてはいけないのです。
重要なポイントは、どちらを選択しても、選択した以上は自分の行動に責任をとるのが気持ちのよい過ごし方ができます。
つまり、いまこの瞬間に集中して、上司と行くなら上司とのコミュニケーションを大切に過ごせばよく、パートナーとの約束を守るならパートナーとの時間を大切に過ごせばいいのです。
自分が選択した行動を力の限り実行するのがアサーション権を守ることです。それが人として生きることだと思います。
ある行動を選択したために、選ばなかった行動や相手を気にすることは、気遣っていると解釈する方もいるでしょうが、それは間違いで、自分が自分の行動に責任をとっていないだけのことなのです。
これが残業の要請だったら、どうなるでしょう?やはり同じです。重要なことは、いまこの瞬間に集中して過ごせる選択をすることです。
どちらを選択しても、いまこの瞬間に集中して過ごせないというのは選択が問題ではないのです。自分の行動に責任を持とうとしないことが問題なのです。

自分の考え方、感じ方の問題なのです。

アサーション権を認識していないと気持ちが引き裂かれそうになるかもし知れませんが、認識していたら考えに混乱が起こらないので選択に迷いが生じません。選択に迷いがなければ、いまこの瞬間に集中して過ごせるようになります。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

それは分かるけれど、ちよっと待ってくれ、「どうしてもやり遂げる必要のあるときに残業を拒絶されると困るよ」という意見もあるでしょう。
組織(集団、チーム)は、目標があります。その目標を達成することを目的に人が集結しています。自分の役割を果たすことが必要条件です。それを基本に考えると答えが見えてきます。
目標を達成するには、意欲が必要です。烏合の衆では意味がありませんが、意欲がなくても問題視しないのは生産性で測れます。没頭力、違う言い方をすればいまこの瞬間に集中することができるかどうか、それを明文化していることが前提条件です。
明文化して、その実行を評価していれば、この瞬間に集中して過ごせない選択をしなくなります。行動にメリハリ、つまり責任感が行動に伴いますので選択もそれに準じます。
アサーティブなコミュニケーションが風土として定着するようになります。つまり働きがい、やりがいのある職場になるので、目標達成力もアップし、離職率は下がります。風土化することで、さらに外部(ユーザ、仕入先、共同体)との関係性においてもアサーションを可能にしてWIN-WINな関係を創る力がつきます。
この逆が渋々残業するチームです。このようなチームではイヤな顔をしないことが尊ばれますが、本当に大事なのは見せかけの表情、態度ではなく、行動の充実度であって、実態は生産性に表れます。ユーザ、仕入先、共同体との関係性も芳しいものにはなりません。
チームとして、他に抑えておきたいポイント。
●自分の役割を果たせないために周囲の人に迷惑がかかることは許されません。もし能力の不足があるなら不足の充足をして、周囲に手伝ってもらう状況を一刻も早く克服するようにします。能力の不足の発見と充足がチームリーダーの仕事です。
●手伝うひとは、手伝いに使う時間を別のことに使えた時間です。手伝うひとのスキルアップを妨害することになります。
これが仕組み化してしまうと全員がスキルアップしない職場になります。部下が成長しないのでチームリーダーはいつまでも同じポストをキープできますが、時代は刻一刻、変化、進化し続けるので、チームの劣化が必然になります。
手伝ってもらわないとできないようなひとが集まったチームは使い物にならないチームになります。
チームとしてアサーション権を守ることが生産性、人材育成力に影響することに留意したいものです。
冒頭に説明したように、このアサーション権は、誰もが他者を変えることも、コントロールすることもできないことを意味しています。

しかし、このアサーション権の遵守によって、自律的に他者が変わる、自主的に参加する可能性を現実のものにします。

「与えよ、さらば与えられん」

       ・・・・但し GIVE&TAKEではありません。GIVE&GIVENです。


アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利

 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

2013年3月12日火曜日

自分の考えや意見、行動を変更する権利



アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、
ビズ・アサーティブでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。


 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

一旦決めたことは変更してもいい。
人の考え、感情、意見は変わりますので、それに伴い行動も変わります。
一旦決めたことは変えてはいけないという思い込み、決めつけは目的・目標達成、人間関係をより良いものにする上で欠かせない誠実と思い込んでいる人が少なくありません。確かにそうでもありますが、「朝令暮改」という言葉があるようにそうでない場合もあります。マネジメントをする上で根拠ある「朝令暮改」は必然です。

より良い状況に変えていくとき、たとえばPDCA(計画→実行→検証→是正)のマネジメント・サイクルを循環させる場合、PDCAは迅速さが命ですから、カイゼン、カイゼンの連続になるので、変更の連続が起こります。変更が起こらないマネジメントはマネジメントでないというようなことが普通に起こります。

但し、正解を見つける目的もなしに、失敗を繰り返す、朝令暮改を繰り返すとしたら、それは問題です。「頑張ります」と心意気でぶつかろうとする方がいますが、答えも仮説もなしに、ただ目標に挑戦するというのはあまりにも拙い愚行です。物事の仕組みが根本的に判っていないので、仕事の仕方や考える技術にルールがあることを判っていないのです。PDCA(計画→実行→検証→是正)を展開するには、正しい理解が必要です。

そもそもPLAN(計画)とは、答えを知っていることが前提です。つまりPLAN(計画)とは正解のことで、答えも判らないまま取り組むというのは無謀なのです。(意気込みだけで取り組む場合がそれです)しかし人間は神様ではないの
で、判らない場合もあります。

そのときはPLANに仮説を使います。仮説はあくまで仮説ですが、仮説がないよりは仮説があったほうが停滞を防げます。ひとつの間違いの発見は正解に近づいたことを意味します。その繰り返しをPDCA(計画→実行→検証→是正)で実行しますが、失敗は失敗はであることに変わりはないので、迅速さが必要です。迅速さが大事なのは、早く正解を発見しなければならないからです。
また仮説がピント外れにならないように、仮説を引き出すツールを使います。ツールはいくつもありますが、状況に適したツールを使うようにします。
この件については、「コミュニケーション力」の問題として後ほど説明します。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

いまのような変化の早い時代、刻一刻の変化に対応するには、朝令暮改は当たり前で、朝礼朝改もあり得るのです。
一旦決めた以上は変えられないなんて言ってると仕事になりません。

過去にあるルールを決めて取り組んだことでも、状況に応じてルール変更するのは自然なことです。変更の際に注意したいのは、先に出した指示命令など連絡した内容を誰にも分かるような形で撤回することです。変更で問題になるのは以前の内容と新しい内容が混在することです。これでは指示命令された側はどうしていいのか分からなくなり、ひとによってこれでいいのだろうという案配で仕事します。これは問題です。

こうした間違いを未然に防ぐには、どの指示を撤回し、新たにこちらの指示を遵守するようにしてほしいと、誰にも分かるように文書で流布することが欠かせません。

アサーション権
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワン/ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。


 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利




2013年3月11日月曜日

間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利




アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。


 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利
「間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利」・・・・このアサーション権は、「人間である権利」そのものともいわれます。
すなわち、神ならぬ人間は神様ではありません。完壁でないのが普通です。
完璧な神でない人間は、失敗はしてもいいのです。さらに、その結果に対して責任を取ってもいいのです。そういうと身を引いてしまう方がいると思いますが、責任に対する判断が違うからです。

失敗の責任を取ることは、結果を自分が引き受けるということですが、可能な範囲と可能でない範囲があります。失敗に対して義務として取る必要はありませんが、自律的に可能な範囲において責任を引き受けるという意味です。これならどうでしょう?できると思いませんか?
もし責任を義務として引き受けるなら返すことができない失敗はできないことになります。これでは二度としたいと思わないでしょう。失敗の責任は、成功しかないことになります。似たようなことにならないように他の件でも避けるようになります。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

しかし、ちょっと待ってくれ、失敗してはならないからと言って、可能な範囲で責任を引き受けたらいいなんて、そんなユルいこと言ってると大変なことになる・・・・という意見もあるでしょう。
さて、この問題を職場やビジネスの現場で扱う時、どう考えたらいいのでしょうか?
自律的に可能な範囲において責任を引き受けることは、途中で放棄しないで、成功するまでやり続けることを意味します。
もし、失敗はできないと考えていたなら、失敗する人間はダメ人間という評価になります。自分をダメ人間とは思いたくないので、失敗を認めることができなくなります。合理的でない言い訳したり、失敗したことを隠すようになります。ごまかす、隠す、避けるということが連鎖して起こるようになってしまいます。
個人の場合もそうですが、集団の場合では特に目標は重要になります。目標はひとりひとり違う価値観を束ね具体化したものだからです。つまり目標とは全員に共通した価値観と言えますが、その目標が崩壊してしまいます。
もし失敗してはならないという前提でものごとを進めると、責任を取ることが義務になります。すると、まず集団を構成する人々の行為は自律的でなくなります。自律的でないとは、上司から言われるからやっているという状態になります。
さらに自分がダメというレッテルをはられたくない心理が働くので、成功の可能性が保証されていないことはしたくなrくなります。

義務としての責任がともなうことはしたくなくなるので、目標は形ばかりのものになり、結果主義(事実前提の経営)に陥ります。つまり出来高主義です。


建前としての見せかけの目標はあっても、事実は人が成長する仕組みを集団から骨抜きにします。共通した価値観を持たない目標のない集団とは烏合の衆だからです。この隠された事実によって組織と従事するひとは壊滅的な痛手を被ります。
組織は失敗が問題ではなく、成功しないことが問題なのです。
成功するために組織はあるのです。だから失敗してもいいから絶対に成功しろというのが健全なのです。


成功するまで失敗を繰り返せばいいのです。その防波堤として期限があります。
修正を加え、やり直してみる、うまくいかない、さらに修正を加えやり直す。この頻度をどれだけ高めるか、迅速さが期限によって問われます。
責任を引き受けたいか、引き受けたくないかは、その迅速さと密度の高さで顕著な差をみせます。その違いが自己肯定感になって表れますが、その発端は失敗と責任の解釈の違いにあるのです。
何度やってもうまくいかない場合もあります。その場合はどうなるのか?

やり直してもやり直しても出来ないことによって、それが自分にはうまくできないことが判るようになります。それはできない、しないほうがいいという見極めができるので、断る力がつきます。さんざんやり直した結果の判断ですので、気分や思いつきの回答ではありません。それも責任ある行動なのです。


自他ともに肯定できるようになるので、嫉妬から出来る人に敵対心を持ったり、誹謗中傷するようなこともありません。
結果主義で成功することしかしない人、一度の失敗でやり直すこともしなかった人は、自信がないままに、何事にも引っ込み思案になります。自信のなさを隠すために、自分を守ることにエネルギーをい使うので、健全なコミュニケーションができなくなります。体験さえしなくなるので、成長が止まるだけでなく、時代の変化や進化とも距離を置くことになるので、実際には自身が劣化してしまいます。

「人間である権利」そのものを使わないために起こる悲劇なのです。
その悲劇を回避する意味でも、間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利は積極的に使うようにしたいものです。


アサーション権について

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利


2013年3月8日金曜日

自分の意見を主張しない権利





アサーション権について

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

自分の意見を主張しない権利とは、ノン・アサーティブでいる権利です。
アサーティブの重要なポイントにひとつはニュートラルでいることがあります。
つまり白か黒か、イエスかノーかで決めつけないないということで、他者の期待に応えなくてもいい権利や論理的な説明できなくてもいい権利に共通して通じています。

それでも「自分の意見を主張しない権利」をリストに入れるのは、「アサーション、アサーティブを学ぶと、アサーティブでなければならない」と決めつけたり思い込む方がたくさんいるからです。

アサーティブでなければならないと決めつけるのは、すでにアサーティブではありません。アサーティブであることは、積極的に自分を主張しないノンアサーティブでいることも含めてなのです。
自分の意見を主張しない権利の行使には、それによる責任も引き受けます。たとえば、本心では相手にやってほしいけど、自分が相手に頼まないことによって、相手がそれをしなかった場合、相手を責めたり恨んだりしてはいけないということです。

自分の気持ちを察してくれなかった、気配りしなかったと文句を言ってはいけないのです。恋愛の場合、好きな相手に心情を告白するのも、自分が自律的に判断するのがアサーティブです。

それを会社、たとえば営業職にはめこむとどうなるのでしょう。
新規開拓をしてくるも、してこないものアサーティブということになるでしょうか?あるいは会議で意見を出すのも出さないのもアサーティブでしょうか?

まず、表現には、言語表現と非言語表現があります。言わなかった、言った覚えはない」確かに言葉では表現しなかったけれど、非言語、つまり態度・表情で表現することはあります。言葉以上に非言語表現によってコミュニケーションしています。表情、視線、身振り、声の大きさと高さ、言葉遣い、さらに身だしも非言語表現に数えられます。言葉を使わずに、何を考えているのか、いろいろな情報を発信したり受け取っています。

私たちは言葉以外からも推測しながらコミュニケーションしているのです。
それが、非言語的表現。言葉にしなかったけれど、表情で伝えることは少なくありません。それを後から「そんなこと言ってない」と反論するのはルール違反です。
さらに他の人が言ったから自分は言わなかった。これも立派な主張です。

たとえば、分からないことはありませんか?質問はありませんか?と尋ねたことに対して、はい、ありませんと回答したり、黙っている場合も意見を表明したのと同じです。それを後になって、分からないというのはルール違反でしかありません。

アサーション権、人権は、共同体に暮らす人間同士が互いに幸福で健全な暮らしを営むための技術を、万人に使うことを奨励したものです。ですから、どんな場合も相互尊重が働いているのがルールです。

自分は使うけれど、相手の権利にはおかまいなしというのは、アサーション権の無視です。自分の意見を主張しない権利を行使するときには、そのことを忘れずに、意見を主張しないけれど、それ自体が意見を主張していることでもあることに配慮するようにしましょう。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

先にあげたように、それを会社、たとえば営業職にはめこむとどうなるのでしょう。新規開拓をしてくるも、してこないものアサーティブということになるでしょうか?会社はチームワークが基本ですから、その責任を個人で引き受けるではすまない場合があります。

たとえば、野球に置き換えたら、二塁を守っているのに、二塁に飛んで来た打球をとらなかったとしたら、チームワークになりません。自分の役割は自分が果たすのがチームワークです。
自分が意見を主張しないことによって、どんな意見を主張しているのかを認識するようにしたいものです。

言葉にして主張するのも、非言語で主張するのも、どちらも使わずに主張するのも、相互尊重の精神のもとにあることが指針になります。

上司が感情的になっているときに、アサーティブに関わるとかえって火に油を注ぐことになりますし、社内・社外を問わずアサーティブに主張しても時間のロスというような場合もあります。
自分だけでなく意見を言いたくない、あるいは宴会えカラオケを要求されたけれど歌いたくないというひとに、相手にも主張しない権利があるのですから、要求しないのもアサーティブなのです。



2013年3月7日木曜日

論理的な説明ができなくてもいい権利


アサーション権について


アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

では今回は、論理的な説明できなくてもいい権利について説明していきましょう。
論理的というのは、バラバラに見えることや、関係性がないように思えることに関連性や共通性を見いだして、いまだ明確に解明されていないことや、これから起こることを分析、高い確率で推察することです。
いわゆる思いつきではありませんが、「論理的」の反対のポジションに直感があります。

人間はどうしょうもなく非合理的な生き物ですが、合理的に物事を進めることで円滑な活動を展開しょうとします。時に矛盾が生じるのは当然ともいえます。理屈で説明出来ないことが出てきます。人間は勘やひらめきで行動してもいいのです。自分の行動に他者の承認が必要なわけではないので、自分の行動を言葉で説明できなくてもいいのです。時には直感がもっともすぐれた判断基準になることがあります。
その説明を自分自身に問いかけても答えが出ないことはあります。それは論理的でなくても体験の積み重ねでひらめくデータベースなのです。言葉で説明できなくても自分の内では整合性がとれていることもありますが、整合性がとれてなくてもいいのです。

注意したいのは感情の表現はしてもいいけれど、感情的な行動は自分と周囲の人を傷つけてしまうことが多い点です。感情的な行動を少なくする方法は、感情を言葉で表現することです。感情を言葉にするには、まず自分の感情を認識します。ところが実はそれが結構、難しいのです。

感情的な行動をする人は、感じたことをワンクッション、間を置いて、どういう行動をするのがいいか考えることがなく、感じたことをそのまま行動に移してしまう点で問題なのです。時間にすればわずかな間ですが、自分の不安や不満に注目してしまい、どうするのがいいか相手目線で考えることを忘れてしまうのです。

考えて行動に移す場合は時間がありますが、その場合も感情的な決定をしてそれを行動に移しているだけなので、実際には自分の感情への注目だけで、ワンクッション、間を置いて相手目線で考えることが抜け落ちます。

相手目線で考えることは自分の感情を疎かにするわけではありません。人は他の人との間で暮らしていますので、愛し愛され、信頼し信頼され、双方向のWIN-WINな良い関係を求めているのが自然体です。相手目線で考えることは自分の感情を正直に表現するためなのです。
しかし、人は価値観が違いますし、立場や境遇の違いがあるので、望んでもできないことがあるのが普通なのです。これは仕事しているときも同じで、思うようにならないことが山ほどあります。そのなかで精一杯生きて、表現し、限界とそこにいる人の距離を思いやるのが自分を大切にすることに他なりません。

マートワンが提唱するビジネス・アサーションの中心になっているスイッチチェンジとは、物の見方を変えて最善、最適な行動をすることです。

感情的な行動も論理的な説明ができないことが多いのですが、これは論理的に説明できないと言うより、的確にとらえることが苦手だからです。
感情を認識する訓練を日頃からしていると説明できるようになります。この場合は、自分が最適な行動をとれるようにするために、自分に説明できるようになったほうがいいのです。

2013年3月6日水曜日

不完全であってもいい権利


(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいことではありません。
人は成長するために、自分の不足を知り充足することが必要不可欠です。
恥ずかしいと思うと、不完全を知られるのが怖くなって、隠すようになってしまいます。

恥ずかしいと思うことから負の連鎖が始まり、個人はもちろん組織からアサーションな態度がなくなってしまうことが重大な問題になります。

人は無意識に思い込みや、決めつけをしていて、それを、いつの間にか、常識として身につjけています。
・完璧でなくてはならない。
・賢くなければならない。
・誰からも好かれて受け入れられなければならない人の役に立たなければならない。
・人を傷つけてはいけない。
・悲しんでいるときは同情するべきだ。
・失敗してはならないなどをはじめ思い込みはいろいろあります。
・人を傷つけてはならない。
・危険や害のあるものに、人は深刻に心配するものだ。
・物事が思い通りに進まないのは致命的なことだ。
・できなかったり、できないと言葉にするのは、能力がない証だ。
・親、目上の人、上司などの命令や依頼は断ってはいけない。
・上司は~であるべきだ、部下は~であるべきだ、
・男(女)は~であるべきだ・・・

等等思い込みや、決めつけをピックアップしたらキリがありません。
思い込みは自分だけの錯覚・妄想であって思考ではありません。「~であるべきだ。」は自分だけの感情なのです。
思い込みには、さらに思い込みや決めつけの背景には、自己否定感が深く関わっていることが少なくありません。

・私の能力不足を発見されたら困る
・頭が良くないと思われるかも?
・自分勝手な奴と思われるかも?
・自分の話すことはどうせつまらない
・この程度は誰でも考えているだろう
・わざわさ言うほどのことでもないだろう

思い込みでコミュニケーションするとは、妄想でコミュニケーションに等しいと言えます。
なにより思い込みは自分で自分を縛る「禁止令」です。禁止令が働いていると、ステレオタイプの考えに終始します。難関にぶつかるほど、物ごとの見方を自由に変えるスイッチチェンジが必要になります。
しかし思い込みが強いと、不安になるほど画一的な考え方に囚われ対応ができなくなります。

しかしスイッチチェンジができずに柔軟性もないと相手目線で考えることができなくなります。
事実を無視したり、相手に配慮を欠いたコミュニケーションは相手にとって迷惑で失礼なことと言えます。
知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいと考えていると完全主義になりますので、柔軟なコニュケーションができなくなります。一方、自分が知っている範囲の世界に、未熟な人を迎えた場合は、未熟を恥ずかしいこととしてアグレッシブ(攻撃的)になります。視野の広い人から見たら奇異に感じますが当人は小山の大将気分です。

攻撃的に指導されたり、価値の値引きをしながら指導されても、自己満足に終始してやる気は起こらないので成果はあがりません。成果のあがらない理由に指導される側の無知をあげられたりして、どこまでのアグレッシブな態度が続きます。
こうして隠すことでノン・アサーティブ(非主張的)になる一方で、アグレッシブ(攻撃的)という2面性が露出することになりますが、そのどちらにも、率直、誠実、対等、自己責任というアサーション4つの柱がないので、自分自身のライフスキルが育まれることはなく、成長が困難になります。

年齢に比例して奇異な頑固さが強化されるので、リーダーシップが身につかなくなります。
これを防ぐには、若いうちから、「知らないことは聴く」「分からないことは分かるまで聴く」「できないことはできるまでトレーニングする」ようにします。
この態度こそが、知っている、分かっている、できる以上の長所になります。この点をしっかり肝に銘じて実行したいものです。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

不完全であってもいいと開き直られたら困るという心配もありますが、そんなことはありません。
たとえばチームワークは、自分の役割を果たせることが基本で、果たせない場合は果たせるようにスキルを身につけるのが原則です。そのためになにができないのかの発見と充足がリーダーの仕事です。それを果たすために、周囲は出来ないことを手伝わないのが原則です。

このルールに則ってやれば、開き直ってもいいという心配はなくなります。
目標達成のためには、開き直っている時間がなく、不足の充足に躍起になっているのが普通です。

そして、この権利にも他の権利と同じことが言えます。
自分が不完全でいけないと思い込んだ人が管理者になった場合、この思い込みが解決されていないと、やはり部下の不完全を許さなくなります。

人は不完全を克服するために苦しむのは当たり前のことと考えてしまうのです。
自分の不完全を解決する努力は尊いですが、それが義務になっては働く喜びを失うので、働きがいのある職場にすることいは困難になります。どのようにして自律性を引き出すかに焦点をあてるには、まず知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいことではないことを明文化するのが先です。


アサーション権について

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利



2013年3月5日火曜日

他者と違う自分の価値観を大切にする権利





他者と違う自分の価値観を大切にする権利

前回は9つのアサーション権から、「自分の行動を自分で選択して実行する権利」についてお話しました。今回は「他者と違う自分の価値観を大切にする権利」についてお話します。


   1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
   3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利
   9.周囲の期待に応えなくて良い権利

人はそれぞれに価値観が違います。そしてそれを認めてほしいと願うものです。
それは言い方を変えると人と人に間にある境界の向こう側にいる自分を認めてほしいと言えます。
人と人に間に境界があるから人間関係は特別な輝きを持ちます。境界のこちらと向こう側で頼みもしないのに自分の応援をしてくれたり心配をしてくれる。
人として無上の喜びの瞬間は、私とあなたは違うという境界があるからです。

境界がなければ、私とあなたの区別がなくなります。
たとえば恋愛はその究極と言えます。権力者がいかなる方法を持ってしても境界の向こうにある真摯な恋心は自由になりません。境界は自由の砦とも言えるのです。それだけに良識と良心を磨きたいものです。

しかし、違う価値観の出会いは激突することも少なくありません。残業を求める上司、急いで帰宅したい部下・・・ 職場ではよくある光景ですが、似たシチュエーションであっても、当事者の組み合わせで状況は一変するものです。「価値観の違いです」で、終わるのではなく、 こんな時こそ 、互いの価値観を伝えながら接点を求める作業が大切なのです。伝えたいこと、伝えたい思い、それが互いに違うときに、コミュニケーションの出番です。

私たちは誰も他者の心を理解する能力など持ち合わせていません。本人でさせ判らない魑魅魍魎の世界を話せば判ると考えるのは幻想です。ひとつひとつの単語の解釈もイメージも違う者同士が判り合うなんて至難の技なのです。
でも、だからこそ互いの違いを知り合うようにして、共感、共有できるものを探し合う作業を通じて、理解しあえないのを前提に、それでも尚、理解を求め合い価値観を再編成していくプロセスがコミュニケーションであり、そのプロセスに共鳴するのではないでしようか。もう一度言います。プロセスに共鳴するのではないでしようか。
すばらしい出会いとはそういうことで、結果ではなくプロセスなのです。誰にも他者と違う自分の価値観を大切にする権利、言い換えると他者と違う自分の価値観を大切にする義務があるのです。
相手を理解しようとする熱心な姿勢を知ることから共感が生まれるのです。真摯な態度を知る経験を重ねるほど、価値観の違いを感じることは大きな楽しみになり新たな創造に発展します。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】
「説明しても分からない部下がいる。話をしても通じない。」よく聴くお話です。
こういう場合、まず相手の価値観を認めているかがポイントです。
どちらが先に認めるか・・・ということを気にする方がいるかも知れませんが、対等がルールですから、判っている側から積極的に認めてあげればいいのではないでしょうか。思い込み、決めつけが先にあるとしたら、正論を伝えていても、他者と違う自分の価値観を大切にする権利を認めていないとコミュニケーションは台無しです。むしろ正論であればあるほど相手を傷つけてしまいます。
まず相手の価値観を傾聴し、どこがどう違うのか、その理由はどこにあるのか、ひとつずつ障害を外していく作業が必要です。面倒くさいかも知れませんが、それをしておくと後々が楽なのでかえって時間の節約になります。
販売、営業は、価値観の違いを調整していく仕事といえます。全く違う価値観を持った人に、違う価値観をぶつけていくのですから、価値観が違うでは仕事になりません。
相手のメリットを伝えることなしにコミュニケーションは成り立ちません。ただメリットを伝えるのではなく、心を動かさないとメリットになりません。心が動いたことがメリットなのです。

社内・社外を問わず、心が動かない正論は正論でないと考えて、なにをどう伝えたら心が動くかを念頭にコミュニケーションを進めたいものです。

心を動かすツール、つまりコミュニケーション・スキルでいうツールとは、思考の6段階モデル(ブルーム博士)、PDCA、PPM分析、マーケティング4P、5W1H・・・・をはじめとする世界中で使われ精査されてきた思考ツールです。これらツールについては後ほど説明させていただきますが、 思考ツールを使うスタートが他者と違う自分の価値観を大切にする権利を遵守する心意気ではないでしょうか。



■ ブルーム博士の思考の六段階モデル

知識 … 暗記力(事実、言葉、やり方、分類を知っている)
理解 … 内容を解釈したり、言い換えたり、説明したり、推し量ったりする能力
応用 … 知識を一つの状況から別の状況に移すことができる能力
分析 … 全体の中の部分を見つけたり、区別したりできる能力
統合 … 部分を組み合わせて、統一された全体をつくりだせる能力
評価 … 基準を使って情報の価値や使いみちを判断できる能力
出所:ベンジャミン・ブルーム「教育のねらい分類」

次回は、9つのアサーション権から、「(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利」についてお話します。

    1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

2013年3月3日日曜日

自分の行動を自分で選択して実行する権利



前回お話したように主なアサーション権には9つあります

今回はそのひとつ自分の行動を自分で選択して実行する権利について説明します。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
   3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
   9.周囲の期待に応えなくて良い権利

自分の行動を自分で選択して実行するのは万人に認められた権利です。
自分の希望や要求を伝える権利も含まれています。

目上の人や権威のある人に対して、自分の欲求や希望を伝えるときは、抑圧あるいは控え目にするのがよいと思い込んでいる人がいます。

この考え方は、自分が目下の場合、自分の欲求や意見を容認するのは相手であり、自分ではないという判断に基づいており、叶えられるのは相手次第という解釈です。

この受動的、他動的な考え方に立つと、自他肯定、自他否定など生きる構えのメカニズムが働き、逆の立場、自分が目上の位置にいるときは、相手の欲求を操作できるということになります。

その場合、自分がそうであったように欲求を抑圧したり、弱点を探して指摘することで人間的な価値を値引きします。あるいはその立場にあっても自分の意見は欲求は相手次第という考えになります。

前者はアグレッシブ(攻撃的)、後者はノン・アサーティブ(非主張的)になので、共にお互いを尊重したWIN-WINな円滑なコミュニケーションはできなくなります。

子ども時代からの体験で培われた価値観の影響によりますが、そこには自分の希望を控える従順な子どもがいます。

欲しいものをねだらない子、必要な小遣いを求めない子、行きたいところを要求しない子、自分の意見、気持ちを言わない子がいます。親には従順でなければならないと思い込んだ体験を重ねた子たちです。

従順な子どもを続けるほど「いい子」扱いされて、自分でもそれをポリシーにしてしまった子は、周囲には素直でも、自分には素直でなくなります。欲求をあきらめる習慣を身につけてしまい、さらに欲求そのものを持たないことでバランスをとる習慣を身につけ、自分の欲求さえ分からなくなります。成長すると自分の目標が持てなくなり、なにをしたいのか、なにをしていいのか分からなくなります。

結局、他者の言われるままに行動することがもっともしっくりするように感じて、そのようにします。


しかし人権には、自分の行動を自分で選択して実行する権利が認められています。自分が自分らしく生きて他者が他者らしく生きるには、自分の行動は自分で選択して実行していいのだというアサーション権を行使することが大切です。

自身が行使しない人の前では、他者も使うことが難しくなります。自分が意見を出さないから、相手も意見を出せないというような関係では相手は楽しくもなければ成長もありません。

仮に反対意見であっても意見であって批判ではありません。違いはどこまでも違いでしかなく、間違いではありません。違いがあるから他者との区別もつくのであって、その中から、やがて共感、共有、共鳴に発展します。違いがなければ、あるいは違いを認めない関係性で、ただ合わせる振りをしているだけで自律することもなく、共感、共有、共鳴は生まれません。

自律ができるからこそ共感、共有、共鳴は可能になります。人と人の間にある境界を認めない親分子分の関係性には見せかけの共有・共感でしかなく、本当にはありようがないのです。

私たちは誰でも、自分の要求を持ってもよく、自分の行動を自分で選択して実行する権利を持ってよく、他者に対しても同じことが言えるのです。これを実行することで、自他肯定の構えが育ち、人はみんな対等なのだという意識が自分のものになります。

対等であることを前提としたコミュニケーションが可能なるので互いに受け入れることができます。対等感がないと、自分は劣っているという意識のもとに、相手を見下したり人間的な価値の値引きを探して、常に意味もなく競争的になります。

健全な精神の持ち主ならコミュニケーションをしたいと思わなくなりますので、裸の王様になってしまいます。
そのようにならないためにも自分の行動は自分で選択して実行していいのだと意識して行動します。