2014年10月13日月曜日

【究極のアサーティブ】4つの事例で知る折れない強さ






「何かをする。」のは<Do>です。

「する」「した」はアクションです。

99日間プロジェクトで投げかけている課題は<Be~在り方>に近い<Do>です。

◎をつけられると「できた!」と喜びがあると思います。

しかし×だと自信をなくし、続くと自己嫌悪になることもあります。

いま苦しんでいるのは、この仕組みにハマっているからです。

◎でも×でも、どちらでもいいのです。



「こうありたい」のは<Be~在り方>です。

「ある」「ない」は状態です。

状態に自信があると、「何かをする。」ことには寛容になります。

「できてもいいし、できなくてもいい」という気持ちになります。

状態に満足しているからです。

状態に満足していると、できること、できないことの見極めができるようになります。

晴れたらいいし、晴れなくてもいい」と思えるようになります。

つまり現実を受け入れることができます。



現実ははっきりしています。自分にはできることもあるし、できないこともある。

天気はコントロールできません。コントロールできることは主体的動けることだけです。

他人はコントロールできません。他人が主体性を持っているからです。

主体性のないことで悩むことはなくなります。



【事例 1】

住んでいる環境はきれいであってほしい。これは<Be~在り方>です。

ポイ捨てされたゴミを見つけたのでゴミ箱に入れた。これは<Do~する>です。

<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、自分が捨てることが気になりません。

<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、怒りが生じてポイした人間に腹が立ちます。

つまり自分が他者の行為にコントロールされてしまいます。
一瞬にして、暮らしの中心が他者にすり替わり、自分の在り方も不安定になります。



【事例 2】

愛する人を大切にしたい。これは<Be~在り方>です。

なんかの事情からカレまたはカノジョが嘘をついたことを発見します。
これは<Do~する>です。

<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、動揺なく変わらず大切にしたいと思います。

<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、怒りが生じてカレまたはカノジョを責めます。

愛する人を大切にしたい気持ちが吹き飛び、変わらず大切にしたいとの間で揺れ動き引き裂かれたような気持ちになります。

やはり、自分が他者の行為にコントロールされてしまいます。
一瞬にして、暮らしの中心がカレまたはカノジョにすり替わり、自分の在り方も不安定になります。



【事例 3】

愛する女性を大切にしたい。これは<Be~在り方>です。

彼女がレイプされたとします。これは<Do~する>です。

<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、受け入れて彼女を守ってあげたいと思います。葛藤はありますが、彼女は犠牲者だし、いまこそ変わらず大切にしたいと思います。

<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、怒りが生じて相手に復讐したいと思い、彼女に責任はないと思いながらも、心の底で彼女まで責めてしまうこともあります。整理できないまま彼女を見捨てるかもしれません。

やはり、自分が犯罪者の行為にコントロールされてしまいます。
一瞬にして、暮らしの中心が犯罪者にすり替わり、自分の在り方も彼女に対する行為も不安定になります。




【事例 4】


平和を大切にしたい。これは<Be~在り方>です。

総理大臣が、平和を大切にしたい。いざという時には自国民を守れる体制にしておきたい
と決断します。これは<Do~する>です。

<Do~する>より<Be~在り方>が強いと、<Be~在り方>に目が向くので不自然だと思いません。

<Be~在り方>より<Do~する>が強いと、<Do~する>に関心が高く、戦争の準備だと思い批判的になります。なにかにつけて監視的な目線が多くなり、批判することに囚われます。すでに自分が平和的でなくなっていることに気がつきません。

ガンジーやキング牧師は、<Be~在り方>を主張しましたが、対立するようなメッセージは発信しませんでした。人間の根源的な問題として原理原則に反するようなことしないでほしいと<Be~在り方>について言及したからです。


<Be~在り方>が<Do~する>より強く、信頼されるのは、こうでなければならないと決めつけないからです。

<Be~在り方>は他者や状況に左右されません。屈することもありません。いつも自分に主体性があります。

風になびく柳は折れません。























































2014年10月8日水曜日

働いている人が会社の信者になる会社。そんな会社を創ってみたいと思いませんか?



<Be ~在り方>が正しければ正しい<Do ~行動>の原因になります。<Be ~在り方>が間違っていれば間違った< Do ~行動>の原因になります。

ステークホルダーとの間で交わす約束はステークホルダー個別には違いがあっても、総じて言えば<WINーWIN>です。ステークホルダーのなかには従業員もいます。

従業員は命令で動かすものと未だに勘違いしている人がいます。この種の人にこれからの時代に成功を求めることは無理です。それで従業員が満足しているなら高い生産性を求めることは無理で、タイタニック号のような末路を迎えます。なぜなら「共依存」の仕組みになっているからです。

「相互依存」と「共依存」は言葉的には似ていますが、その実態は真逆です。

会社の規模を問わず会社は共依存の関係で成り立っているものではありません。「俺の言うことを聞いたら面倒みてやるよ」という思想は大変危険で不健全です。この「在り方」は「機能しない行動」の温床になり、必ず会社の成長は止まります。

「終身雇用」はとてもいい制度ですが、裏返せば「滅私奉公」、お互いにメリットがあるように思えますが、実はここに潜む「安心」が「見せかけのやる気」になっていて、結果的には顧客満足が果たせない、競争力低下の原因になっています。つまり遺失利益の原因になっています。

実態は成長の芽をつんでいますが、見た目に順調なときは当事者が満足していればそれはそれでいいのですが、業績が低下すると歯止めがかからず、潜んでいた弱点が次から次へと露呈します。成長の芽をつんでいること気がついていないように、原因が理解できないので対策(Do ~行動)できないままになります。

理由はシンプルです。「共依存」には<WINーWIN>の思想がなく、共に<Win-Lose>の関係なのです。<Win-Lose>の会社にやる気のある若者が参加してくるはずがありません。<Lose-Win>を求める人だけが集まってきます。顧客も同じです。私が言うのではありません。人間関係の原理原則なのです。

「共依存」は自分の役割を果たさない関係です。互いがもたれ合い、それでもやっていけるのには限界があり、必ず破綻が来ます。大局的には歴史的に<WINーWIN>に脱却できない現代ニッポンの弱点になっていますが、企業も同じです。

「相互依存」は自立できるスキルを持った者が自律した関係で織りなすチームワークです。その恩恵は相乗効果です。1プラス1=2ですが、相乗効果を発揮して3、4、5となります。

「共依存」は1プラス1=2が、2未満にしかなりません。この不足分を誰かが補っている内は存続しますが、補給されなくなると機能停止に陥ります。

<Be ~在り方>が正しければ正しい<Do ~行動>の原因になります。<Be ~在り方>が間違っていれば間違った<Do ~行動>の原因になります。

成長への挑戦は、ステークホルダーとの<WINーWIN>の関係を通じて、<Be ~在り方>を創り直す負のスパイラルからの脱却するチャンスなのです。<Be ~在り方>がそんなに大切なのか?大切なのです。

それは損益計算書に表れない、働く歓び、生きる歓び、安心、生きがい、自信、信頼の源になるからです。

自律型マネジメントが機能している会社。

働いている人が会社の信者になる会社。
そんな会社を創ってみたいと思いませんか?


あなたが生きた証しとして。。。。














2014年10月6日月曜日

相乗効果を引き出す自律型マネジメント




ビズ・アサーティブが達成しょうとしているひとつは自律型マネジメント」です。いま、これからの主流です。自律型とは目的、目標を共有し達成するために自分で自分の行動を律してチームワークすることです。

最大のポイントは自立していること、自立に対して主体的に尽力できるスキルです。チームワークできるようにするためです。チームワークとは仲良く仕事をするのが目的ではなく、チームワークできることで結果的に仲良くいられることです。その範囲は協働するものから最終的にはコミュニティに広がります。


チームワークできるとは、チ-ムの各自が自分の役割を自分ひとりで達成できることです。手伝ってもらうと、手伝った人の生産性は落ちます。手伝った時間にできる仕事ができません。準備ができません。勉強ができません。そのカバーに入った人にも影響を及ぼします。するとチームは疲労し、チームの役割が果たせず、破綻します。

チームワークはひとりひとりの持つ能力を最大限引き出すことで、相乗効果が発揮されるものでなければなりません。しかしその能力が自分の役割に発揮されないようでは、その人の価値を値引きしたことになり尊重しなかったことになります。


実際に起こった軍隊史上最大の惨事を題材にとった小説「八甲田山死の彷徨」を映画化した「八甲田山」では、ドラマであるにしても、任務に成功する隊と、全員が遭難する隊の違いがビジュアルで分かります。

成功する隊では、人員もチームワークできる範囲に絞り込み、遠回りしてでも冬山に体が馴染むようにコースとマイルスストーンを的確に設定、ひとりひとりに直接指導することで自律できるようにした上で、チームワークに乱れがでないように細かくマネジメントしています。
遭難する隊にはこのような配慮はほとんどなく、自律することもないのでトラブルが生じた場合には銘々の勝手な判断からほころびが生じていく姿が映し出されています。

プロ野球に良い事例があります。

弱小チームから常勝チームに変貌を遂げた強い時代の西武ライオンズはそれができていたそうです。試合前の選手同士の会話はなく、他のチームから移籍してきた選手は、仲が悪いのかと思ったそうですが、そうではなく自分の役割を果たせるように個々の選手がみんなそれぞれ考え準備に余念がなかったからです。

クラウンライターライオンズから買収した西武ライオンズは1979年に初代監督に根本陸夫氏が就任。成績は芳しくなかったものの、チームの基礎作りに着手。

選手たちと堤オーナーが顔合わせをするパーティでは、スーツのポケットを全部縫って手を入れられないようにした逸話も残っています。


野球選手である前に社会人の<在り方>を徹底して浸透させた上で1982年に広岡監督を招聘、今度は野球選手として改革に着手。

地均しに成功した上で1986年に森祇晶(昌彦より改名)監督を招聘、生え抜きの選手も揃い常勝チームの座を確立しています。時間もかかっていますが一貫してチームワークのできるチーム作りをめざしていたようです。

初代監督だった根本監督については南海ホエールズを買収したダイエーも初代監督に招聘、その後王監督にバトンタッチし、常勝チームになっています。


「一貫している」その中心にあるのが<在り方>です。<Be>の力です。

<Be>に対する自信があるので、勝った負けたに一喜一憂せずに、自分たちの野球を育んでいけるのです。一喜一憂しない理由は他者の評価に惑わされないからです。

リーダーシップの機能しているマネジメントの元で人の目線を気にせずに、チームワークができるスキル、つまり自立したスキルを高めることができるのです。

チームワークとは相互依存です。互いに研鑽するようになり、モチベーションが働くと相互依存の潜んでいる本領を発揮すると相乗効果になります。これが命令されて動いている主体性のない集団にはない「自律型マネジメント」の底力です。



その因果関係を図にしたものが次の図です。


なぜ、あの人はいつも主体性を失わず積極的(アサーティブ)なのか





未知のことについても、積極的に取り組める人と、逃げ腰になって理由をつけて取り組まない人の違いは何でしょう。その背景にある「自信の違い」を生み出す「違い」はなんでしょう。

自信の違いについて言えば、実は違いなんかないのです。

不安だし、何から手をつけていいのかも分からない。どうしていいのか分からない。という点では全く変わりはないのです。

ただ積極的(アサーティブ)に取り組む人は、行動することで、遥か遠くにあったことを引き寄せてくるのです。
失敗を恐れていないわけではなく、逆に失敗を恐れるから失敗をしないように努力をします。

消極的(ノンアサーティブ)な人は、失敗を恐れて悩んでいるばかりで行動しません。本人は悩んでいることを考えていると思い込んでいますが、考えるのと、悩むのは違います。

考えても答えのでないことは行動で答えを出すしかないので、積極的(アサーティブ)に取り組む人は、行動することで、答えを見つけていきます。

「行動の違い」を生み出す「違い」が自信の違いです。禅問答になってしまいますが、自信の強さに違いはないのです。

しかし自信の質に違いがあります。<Be>と<Do>の違いです。

<Be>の自信とは、<自分の在り方>の自信です。
<Do>の自信とは、<なにができたか>つまり<成果>の自信です。

私たちは、子どもの頃から<なにができたか>で評価されてきます。
学校の成績、運動の成果など目に見える、つまり他の人が見ても分かりやすい評価基準で評価されてきます。
大人になれば、業績で評価されます。資格をとるにも採点されて合格、不合格が決まります。

つまり<Do>の自信に裏付けされた評価を自分に課している人が、自信があることには取り組めるが、未知のことには、逃げ腰になって理由をつけて取り組まない自分にしています。

<Be>つまり<在り方>を大切にしている人は、<なにができたか>で評価しません。その前提にある態度を大事にしているので、「できるまでやる」「プロセスに注目する」「決めたことは責任をとる」「いまこの瞬間に集中する」「理想と現実の差を埋める目標を選ぶ」「感情的な行動はしない」「自分と周囲の人を励ます」というような態度に自信を持っています。

このような態度は他者に委ねませんので、他者の評価を気にしません。実際、他者には分かりません。他者に分かるのは結果が業績になってからです。

しかし<Be>を大切にしている人は、自分にできることとできないことの判断がついているので主体性を発揮できないこと、つまり自分にできないことには無関心です。他者の評価もそのひとつです。そんなことに右往左往する時間があるなら、態度の高度化(レベルアップ)に励みます。

<Be><在り方>の自信は自分への自信です。ただ裸の王様にならないように、<自分>への疑いは<Do>に満足している人に比べると段違いに強いのです。狂人は自分を狂人だと思っていませんが、正常者は自分はおかしくないと疑うのと酷似しています。

この態度が「なぜ?」と聴く態度になっています。

<Do>で評価している人が「どうしたらできる」と<HOW 型>になるのに対して、<Be>を重視している人は「なぜ?」が習慣化した<WHY型>なのです。

この質問の違いが危機突破力になります。

<Be><WHY型>は、うまくいかない場合、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」の連発で正解を探します。

<Do><HOW 型>は、「どうしたらできる」と答えを探しますが得られないと自信を喪失します。特に経験のないことには極端に弱く消極的で折れやすいのです。そのため弱さが露呈するのを嫌い<ノンアサーティブ>あるいは<アグレッシブ>になります。<ノンアサーティブ>と<アグレッシブ>は態度は真逆ですが、根本は同じです。その人間関係の構えは<自他否定><自己否定・他者肯定>です。このように自信の質が極めて限定的なのです。

<Be><WHY型>の人間関係の構えは<自他肯定>で、自分は自分、他者は他者と自他尊重が基本になっています。



外面の力はすべてと言っていいほど限定的ですが、内面の力は無限です。
外面の力、つまり外から見える力、他者が評価しやすい力は、財産、地位、教育レベル、業績、専門知識、資格など無数にありますが、期限、地域、業界などあらゆる面で限定的です。
内面の力、外から見えない力、つまり自分にしか分からない力は、態度、信念、意識などでつかみどころがありませんが、世界のどこでも通用して死ぬまで力を発揮します。

外面の力の最後は、「立派な業績を残されましたね」といった類いの言葉で評価され、外面の力の最後は、「素敵な方でしたね」といった類いの言葉で評価されます。

<Be>と<Do>の違いは次の図のようにまとめることができます。
決定的な違いは「リーダーシップの有無」になって表れます。





<リーダーシップ>の定義は人によって違います。違っていいでしょう。しかし外面的な力技で<リーダーシップ>は発揮できません。

<リーダーシップ>のあるマネジメントは効果を発揮しますが、<リーダーシップ>のないマネジメントはあり得ません。
マネジメントとは、あらゆる困難を乗り越えて目的を達成することだからです。<リーダーシップ>は困難に出会えば出会うほど、<北十字星>から逆算して進路を示す必要があります。


最初から限界があり、折れてしまいやすい<Do>の力と自信では、問題も困難もなく変化のない時には問題なくできても、困難が生じるとすぐに凹んでしまいます。

あらゆる困難を乗り越えて目的を達成するとは自ら「変化を起こすこと」だからです。


自信を精神的なものとして、無理に自信を持とうとしても自信は生まれず逆効果になります。自信には自信が生まれる根拠があります。どんなときにも自分を信頼して行動できる基礎である<Be>です。